大河ドラマは二度おいしい(その1)
最近、NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にはまっています。毎週日曜日午後八時がとても楽しみです。
とりわけ、第15回「足固めの儀式」では、とてもやるせない思いをさせられました。「上総介広常(かずさのすけひろつね)」(配役 佐藤浩市)が、「源頼朝(鎌倉殿)」(大泉洋)の謀反人として、「梶原景時」(中村獅童)に誅殺される場面です。源頼朝が打倒平家のため、関東の武士(豪族)をまとめあげ、鎌倉幕府の体制を確立する足固めに、謀反の気がないどころか、頼朝に忠誠を尽くそうとしていた上総介広常を反頼朝派御家人の首謀者として成敗するシーン。豪族の中でも頭抜けて力を持っていた上総介広常を殺すことによってに謀反の兆しがあれば殺されるとの恐怖心を御家人たちに植え付けるための謀略です。それぞれの俳優さんが、その役になり切り、心のひだを見事に演じ切っているところに感心しました。なかでも上総介広常役の佐藤浩市さんが、梶原景時に太刀を振り下ろされ「なぜだ?」との思いの中で絶命するまでの演技は圧巻でした。一方で、独裁者の恐怖政治とは、こういう風に作られるのかと最近のロシアのこともあり、妙に納得したりしてしまいました。
視聴者は、史実としてそれぞれの登場人物の行く末は知っています。従来のテレビドラマや映画では、役者さんが歴史書等に描かれている人物像(といっても講談師が作り上げた「虚像」との見方もありますが)をいかに上手に演技するかが問われます。従って、脚本家や演出家は、だいたいその人物像にあったイメージを持つ役者さんを選んでいます。
例えば、源義経であれば、ちょっと遡りますが、同じ大河ドラマで尾上菊五郎(四代目)が悲運のヒーロー役を演じていたことを思い出します。義判官びいきの私たちを納得させる立ち居振る舞いをする役者さんとして、歌舞伎役者の尾上菊五郎さんが選ばれ、名演技だったたと記憶しています。今回の大河ドラマでも、第17回「助命と宿命」において、悲運の武将源義高役を市川染五郎(八代目)が演じ、その美男子ぶりもあって、視聴者の涙腺をゆるませる同様の演出がありました。
一方で、今回の大河ドラマでは、その期待像を見事に裏切る配役と演出もなされています。
典型例が源頼朝を演じる大泉洋さんです。大泉さんと言えば、昨年も紅白歌合戦の司会をされていましたが、陽気でちょっとコミカルなところが持ち味で、ドラマの初期の回では「素」で演じられており、打倒平家を目指す源氏の棟梁としての役回りはいかがなものかと思っていた方が多かったように思います。しかし、この第15回あたりから、頼朝が力を持つ領袖へと脱皮するにつれ、私たちが抱いていた大泉洋像が破壊されていきます。源九郎義経に至っては、義経をまるっきり「悪」のキャラに仕立て上げ、悲運のヒーローのかけらもない状態にしました。もっとも、この役を演じる菅田将暉さんに対する私のイメージでは、妙に似合っていると思いましたが。
役者さんを壊すか、登場人物を壊すか。いずれにしても従来視聴者が期待し抱いてきた人物像を大きく変化させることによって、期待値とのギャップをつくり、ドラマのエンターテイメント性が高められています。このギャップ感が麻薬となって、ついつい次回の展開を期待してしまいます。
結局、私たち視聴者は、脚本家三谷幸喜の罠にまんまとはめられてしまったのでは。